音楽に詳しくなった話|大学で出会ったすごい人たち

ターンテーブルのレコードを手で止めているイラスト画像

僕は音楽をやるために上京しましたが、その前に大学受験という作業がありました。

どうにか成城大学に合格して、これからどうやって音楽をやっていくか考えなくてはなりません。

今回は大学で偶然出会った人々に、音楽について多くを学んだことを書いていきます。

その後の音楽作りに大きく影響した内容です。

音楽を聞くより作るほうが好きだった

僕は特に音楽について詳しくなく、ラジオもそれほど聞かなかったし、音楽の本や雑誌も読んできませんでした。

ただテレビ番組のテーマソングや映画の主題歌、深夜にやってたアメリカのダンス番組「ソウルトレイン」でかかる曲など、比較的華やかな音楽が漠然と好きだったんです。

日本のミュージシャンでは現在ソロで活動してる小沢健二がコーネリアス小山田圭吾とやっていたバンド「フリッパーズ・ギター」や山下達郎、オリジナルラブなど、今思えばどれも共通したところが多い人達が好きでしたね。

ですが好きなミュージシャンといっても、その人の曲が全部好きというのではありません。

ある一定の曲調や音色の曲のみ好きで、それから外れる曲はまったく興味なかったんです。

音楽に詳しくないとミュージシャンになれない?

僕は音楽を作るのが好きでした。

もともとたくさんの音楽を聴いて、そのミュージシャンについて詳しくなるということはなかったんです。

ですが、特定の曲を細部まで聴いて、楽器ごとにどうやって鳴っているかというのに興味がありました。

一つの曲を何度も何度も聴いて、それぞれのパートや音ごとに鼻歌で歌うという。

高校時代に、楽器機材メーカーBOSSの「DR-5」というマシンを買って、4チャンネルレコーディングができるようになったんです。

4チャンネルあると、

・ドラム
・ベース
・上モノ1
・上モノ2

というふうに、曲のオケをだいたい作れるんですよ。

音は同時に64音まで鳴らせたんですが、あまり作り込もうとすると上限に達しました。

そのへんはちょっと物足りなかったです。

ですが概ね初心者にはこれ1台で十分でしたね。

ドラムとベースを入力すると、曲全体の雰囲気はだいたい完成します。

ベースが特に難しかったですね。

よーく聞かないと、ベースの音階って耳コピするのは大変。

この頃の作業の大半はベースの音の聞き取りでした。

これがその後の作曲手法の礎になったかも。

上モノとは曲によって変わると思いますが、僕が好きな音楽では

・ブラス(管楽器)
・ストリングス(弦楽器)

が多かったです。

できればエレキピアノを加えたかったですが、4チャンネルしかなかったので、我慢しました。

ギターは自分で鳴らして合わせた感じです。

こうして、音楽を作る知識はほんの少しあったんですが、これだけではミュージシャンになれないとある時悟りました。

これは、文章を書くことは出来ても社会の色んな事を知っていたり文学作品をたくさん知っていないと作家としての引き出しがなくて、作品を作れないのに似てます。

つまり、音楽については多くの作品やミュージシャン、そのリリースされた背景などについても詳しくならないと、受容のある作品は作れないということです。

つまりミュージシャンにはなれないと。

そういうことを上京してから一人で色々と調べてわかっていきました。

成城大学の入学式で音楽研究会に勧誘される

ここまで、超漠然としたことばかり書いてきました。

大学に入ってようやく自分が好きな音楽が「何」なのか分かったんです。

僕は成城大学に入学して、入学式に出ました。

入学式が終わると、クラス単位で教室に移動して、軽く挨拶的なことをします。

このクラスは第二外国語はフランス語で、担任はフランス語専門の誰々です、よろしく、的な。

その後解散となりまして、ゾロゾロと中庭に新入生が出ていくと、そこにはたくさんの在校生らしき人たちが。

なぜ違いに気づくかというと、格好が普通の服だったからです。

新入生はたいていスーツ来てますからね。

僕は1970年代の古着スーツに花柄のシャツを合わせてました。

クラスでは浮いてましたが、中庭に出るとけっこうおしゃれな人がいますね。

よく見ると、在校生が新入生たちに話しかけています。

これ、サークルの勧誘じゃん。

たまにテレビで大学の合格発表の場所でサークルの勧誘場面が流れてるのを見たこと有りましたが、入学式の日にもこういう場面があるんです。

自分が初めてこのシチュエーションにいるのがシュールな気がして笑えました。

で、実際に勧誘が来たんです。

僕を勧誘に来たのはおしゃれなかっこうの女性でした。

古いスーツと花柄のシャツに食いついてきたかっこうです。

それがちょっとうれしくて、顔に出てたと思いますね。

何のサークルなのかというと、音楽研究会というフリーの冊子を発行している部活でした。

サークルではなくて部活だそうです。

メインの活動はフリーペーパーの発行とDJイベント活動ということで、興味深かったですね。

そのまま部室までついていきました。

音楽研究会(音研)の部室はグラウンド横の半地下にあり、室内は狭く大きな黒いソファーと閲覧デスクが置かれていました。

壁際にはレコード棚があり、おびただしい量のレコードやらCD、雑誌が積まれています。

レコード棚の上にはレコードプレーヤー2台と、それに挟まれるようにミキサーが置かれ、その下には2台一体型のCDプレーヤーがセットされていました。

僕はまだDJをよく知らなく、それらをどう扱うのか知りませんでしたが、音楽機材が好きだったので興味深かったです。

部室の奥の方に小さなテレビがあって、何人かスーパーファミコンをやってます。

何となく自由でいい感じでした。

この日は簡単に雰囲気を見るだけで帰りました。

まだ新居に揃えなきゃならないものがあったし、大学の授業開始の前に準備すべきものもあったので。

新居は大学から1駅西に離れた喜多見の近くのアパート。

住所は狛江市でした。

自分どの音楽が好きか分からないんですが

音楽研究会(音研)に勧誘されてからしばらく経って、授業の準備等が落ち着いた頃、部室を訪れてみました。

レコードプレーヤーの前で一人の男がDJをやってます。

他には数人の男女がソファで談笑してます。

みんな先輩だろうな〜と思いながら黙って見ていると、

いらっしゃいと声をかけてくる人が。

入学式の時来た子だよね?

とその人。

僕はちょっとその人を思い出せず、笑顔でそうですと返すのみ。

「スーツおしゃれだったからカタカワが引っ張ってきた」

と別の人が。

スーツを褒められてまた嬉しい・・・。

同時にあの勧誘してきたおしゃれな女性はカタカワさんという名前なんだと初めて知りました。

よかったら新歓コンパにどうぞということで、後日参加することに。

新歓コンパとは新入生歓迎コンパのことで、部によっては何度も行うようですが、音研は1度だけ。

ほぼ全員参加ということでした。

いったい何人の部員がいるのか気になってましたが、総勢30人ちょっとのかなりの規模でした。

あんな小さな部室なのに、30人もいるとは驚きです。

もちろん部室に全員集合することはなく、ごく一部の人が入れ代わり立ち代わりやってくる感じ。

さて新歓コンパに来ていた新入生は僕を含めて20人くらい。

それぞれ、自己紹介で好きな音楽のジャンルを言うことになりました。

好きなジャンルは正直よくわからなかったので焦りましたが、順番が回ってきたので自己紹介。

「好きなジャンルはわかりませんが、最近ベックのアルバムを買いました」

ベックはアメリカのソロ歌手でその頃ルーザーがヒットした後で、何となく気になってたから買っただけです。

ただ、好きな感じとは違いましたから、そのニュアンスを伝えたかったんですが、しどろもどろになりました。

話してるうちに話が二転三転してどっか行っちゃうという大惨事が、ある意味爪痕を残す結果に。

みんなに覚えてもらったし、入部するかな。

音楽に詳しそうな人も多く、入って損はないと感じたので入部。

他にも放送部とか軽音楽部の見学に行っていましたが、音研一本に決めました。

放送部にも音楽機材があり、音研と同じようにDJをする人もいましたが、全体的におしゃれじゃなかったんですよね。

軽音楽部は文化系というよりは、ノリが体育会系だったし、おしゃれとは真逆というかかなりダサかった印象(失礼)。

やはり音楽に詳しい人がいるというのが一番の理由ですが、おしゃれというのが決めてでした。

好きなジャンルはコレだった

新歓コンパで大惨事を招いたのは、

・ベックを買った
・嫌いではなくむしろ好き
・でも自分が好きな感じとは違う

というのを一言で説明できなかったこと。

つまり、自分が好きなジャンルがなにか知る必要があるんです。

そこで音研に行き、僕の好きな感じの音楽を聴いてる人を探すことに。

かなり早い段階で「その人」は見つかりました。

ハヤシという人です。

かなり風変わりな見た目でした。

話しかけづらい・・・

話し方もかなり荒い感じで、

「おいお前、レコードひっくり返してくれよ。寂しいじゃん。」

と話しかけてきました。

そう言えばいつも音楽がかかってるのに、この日は無音だったんです。

そうか、ちょうどレコードの片面が終わった時に僕が来たんだ。

慌ててレコード針を持ち上げたら、想像以上にその針が軽く、勢い余ってレコードに針が何度かバウンド。

その音を拾ってスピーカーからはドン!ドン!バリバリ!と聞きづらい爆音がしてしまったんです。

かなりテンパりました。

DJ用のプレーヤーってこんな感じなんだ。

扱いにくいなあ。

でもハヤシさんは気にしていない様子。

レコードをひっくり返して針を置くと、衝撃が走りました。

ちょうど僕が好きな、あの感じの曲だったからです。

「こ、これなんていう奴ですか?」

興奮してハヤシさんに話しかけてました。

「MFSBだよ。」

エムエフエスビー・・・

初めて聞きましたが、二度と忘れられないバンド名となりました。

「こういうの、メチャクチャ好きなんですけど、なんていうんですか、ジャンルは」と僕。

「フィリー・ソウル。」

フィリー・ソウルとは、ブラックミュージックから派生したディスコ音楽で、アメリカのフィラデルフィア・シグマサウンドスタジオのミュージシャンで構成されたソウルバンド、MFSBが演奏するスムーズかつ華やかで洗練されたクールな音楽です。

ケニーギャンブルとレオンハフが設立したフィラデルフィア・インターナショナルというレーベルからリリースされたレコードを主にフィリー・ソウル、フィリーサウンド、シグマサウンドなどと言っています。

もう、乾いたスポンジの如く、僕はフィリー・ソウルについて知っていきました。

こうしてようやく言えたわけです、

「僕の好きなジャンルはフィリー・ソウルです」と。

アナログレコードを集める

東京で暮らしていると、けっこう自然に音楽のジャンル名が耳に入ってきます。

レコード屋さんに行ってもレコード棚に「ソウル」「R&B」「ジャズ」というふうに、ジャンル分けされてるんですよね。

地方では当時まだジャンル分けはあまりされていなく、ミュージシャンの名前で並べられているだけでした。

こうしたところに違いがあるんですよね。

最近はもう静岡でもジャンル分けなんて当たりませですが。

フィリー・ソウルやそれに似た音楽を求めて、中古レコード屋さんに通う日々が始まりました。

音楽を作りたいですが、その前のインプットを欲してたんです。

もっと知りたい。

こうした店舗が速めで洗練されたソウル音楽のことを、DJの人たちは「ダンスクラシックス」と呼んでました。

だから、フィリー・ソウルだとちょっと狭いんです。

かっこいいサウンドはもうちょっと範囲を広げてもOKでした。

ダンスクラシックスにはフィリー・ソウル以外にも、ファンクっぽいものやゴスペルっぽいボーカルの強いものなど、かっこいい音楽がたくさん。

ますます「勉強」にのめり込んでいきました。

勉強といえば、大学の授業はというと・・・

これはある程度予想できてましたが、ぜんぜん出席しませんでした。

時々行く感じです。

ただ、単位については工夫しました。

どうしても必要な授業は予め調査して知ってましたから、そこは抑える感じで。

でもやはりフランス語とか、日々の積み重ねが必要な教科は徐々に挽回不能になっていきました。

ここは進級に関わるテストの際に苦労することになります。

DJになるには?

さて、音研のメインの活動は

①フリーペーパー「BEATNIK」の発行(年4回)
②DJイベントの開催

です。

特に①は大学へ活動内容として報告する必要があるということでかなり重要。

BEATNIKには部員がそれぞれ記事を持ち寄って、チーフエディターが編集して本にまとめます。

編集作業はチーフがディレクション(方向づけ)をして、みんなで手作業で切り貼りして原稿を作っていきました。

印刷は業者に外注します。

かなりの大仕事です。

広告も掲載してましたので、原稿を集める段階で同時に広告取り営業にも行きました。

こうした大事な業務をこなして、はじめてDJ活動ができるわけです。

DJになるには、DJをやれば良いんですが、レコードを持っていないと難しいです。

当然CDでもできるので、基本誰でもできるんですが、そのスタイルは人によってまちまちです。

好きな曲をその時の気分で順番で掛けていくだけの人もいますし、曲調やテンポ、音色まで意識した「繋ぎ」にこだわる人も。

僕は完全に後者でした。

基本的にミュージシャンになりたい気持ちがありましたし、DJで受け持つ時間はひとつの作品のように仕上げたいという願望がいつしか芽生えていたんです。

DJは楽しいですよ。

バンドはチームプレーですが、DJは自分ひとりで完結します。

当然何人かのDJで時間を分け合うんですが、それは対バンのような感じです。

レコードを集めるようになると、だんだん枚数も増えてきてだんだんコレクションぽくなってきます。

また同時にDJが上手になりたい欲求も。

そなると今度はターンテーブルが欲しくなるんです。

ターンテーブルとはDJ用のレコードプレーヤーのことで、コロムビアのポータブルプレーヤーのように針がレコードにバネで押されているのではなく、オモリの調整によって針の圧力を変えます。

そしてレコードの下に敷くスリップマットとターンテーブルの間に丸く切ったビニールを敷いたりして滑り具合を調整。

これはレコードに入っている曲の先頭部分を探す際に、レコードを逆回転させやすくする工夫です。

こういうのを音研の部室や他の部員の自宅で見ていると、当然自分も早く買って自宅でDJできるようにしたくなります。

当然ですよね。

ということで、DJになるには、

・レコードを集める
・DJのやり方を知る
・イベントでプレイする
・ターンテーブルを買って自宅でも練習

というプロセスでOKですね。

すごい先輩

成城大学の音楽研究会は今は無いみたいです。

新校舎建設に際して部室がなくなったのがきっかけだったんでしょうか。

ちょっとさみしいですが、時代の流れですよね。

今はパソコンで簡単にフリーペーパーの編集くらいできますし、フリーペーパー作らなくても、ブログでOKという感じもあります。

音研の存在価値が無くなったからでしょう。

ですが僕がいた当時はバリバリ情報不足な社会でしたからね、僕たちが音楽情報をBEATNIKで発信していくことには大きな意義があったんです。

そしてイベントを開催してDJをやっていくのも、クラブ文化の浸透に役に立っていたんじゃないかと思います。

そうした中で、音研にはすごい先輩がいることが分かりました。

僕が入部したときには既に卒業していたんですが、コサカイさんという方がいたんです。

卒業生も気軽に立ち寄る場所、それが半地下の音研の部室でした。

あるときその人は部室前の廊下に立って、イノウエさんという先輩と話していました。

僕にフィリー・ソウルを教えてくれたハヤシさんも一目置く存在で、ソウルやR&B、ヒップホップ、ハウスといったブラックミュージックを幅広く知っている大先輩です。

そんなコサカイさんには、今後驚くべき世界に連れて行ってもらうことになるんですが、そのことはまた次回に書こうと思います。

ということで、今回は僕が大学に入って音楽に詳しくなっていったことと、そのきっかけとなったり今後に影響を与えるすごい人達と出会った件についてでした。

さいごまで見ていただきありがとうございました。

では!

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