大学受験の名目で上京して遊んでしまった話|本心は東京で音楽がやりたかった

学生が部屋で一人音楽を作るイラスト画像

このサイトでは努力できないダメダメな僕が堕落した暮らしをしながらも奮闘してアメリカでレコードデビューの夢を叶えるところまでを書いていきます。

今回は音楽をやりたくて上京したシーンの心の動きなど綴る予定。

大学受験に失敗して浪人するわけですが、地味にダメ過ぎる様子を臨場感ありで書きました。

音楽を作る楽しさを知った経緯

実家のウラに住んでたお兄さん(故人)にもらったギターを独学で学びました。

コードが押せるようになると楽しくなるんですよね、ギターって。

高校時代に今はなき音楽機材メーカーBOSSのDR-5という機材を購入したのがきっかけで作曲にハマったんです。

BOSSはギターのコンパクトエフェクターで有名でした。

現在は楽器大手のローランドに吸収合併されています。

DR-5はそんなBOSSが1994年頃に発売した音源入り4トラックシーケンサーで、ギターの音階をイメージしたボタン式のキーボードが搭載された機材です。

同時発音数が64で、初心者の僕には十分なオールインワンの作曲機材でした。

最初はフリッパーズ・ギターとかの曲をリアルタイムレコーディングして楽しんでましたが、徐々に自分で考えたフレーズにリズムや伴奏を入れて遊ぶように。

このへんは鼻歌にギターでコード進行をなんとなく弾きながら合わせていく感じです。

DR-5は、ギターを繋いでキーボード代わりに使うことができるという変わった機能もついています。

大きさは横30cm、縦20cmくらいでかなりコンパクト。

取説には「ギターシンセ」であると書いてあったため、用語がよくわからない僕は当初これをシンセと呼んでいたんです。

学校へ持っていって自慢していた所、「あれってシンセじゃなくてシーケンサーじゃね?」っていう声を聞いて焦りましたね。

僕は静岡の田舎で育ったんですが、高校はさらにかなり田舎の私学へ通ってたんです。

バンドやってる子もいましたが、どうにも趣味が合わず、高校時代はほとんど一人で音楽を聴いてギター弾いて、時々作曲してという生活。

もう、音楽を誰かとやるには東京行くしか無いかな、と感じてましたね。

あるときクラスの女子がデモテープ(当時はMD)を聞いてる僕に話しかけてきました。

何聞いてるの?と。

その子とはちょっと趣味が合って、最後の文化祭で二人でユニットを組んで演奏したりしました。

でも、彼女は地元の短大に進むことになり、東京で一緒に・・・なんてことにはならなかったんです。

父親に東京の大学で経営の勉強をしたいとダミーの夢を語る

僕の親はというと、地元で工務店を営んでいていて忙しく、まともに会話することなんてほとんどありません。

ところが高校3年生も後半に差し掛かる頃に、僕の将来について話す機会がありました。

おまえ、将来どうするんだ?

何となく音楽やりたいって言い出せる空気ではなく、やむなく「大学に行って経営の勉強がしたい」と口から出まかせを言う始末。

そうかじゃあ頑張れよ。

あっさりと会話は終了、僕は大学をめざすことに。

色々と調べました。

今の実力で受かる大学はどこか。

勉強するのは嫌いだけど、こういうの調べるのは得意でしたから、何とか見つけることができましたよ。

現役大学受験に選んだのは帝京大学|勉強時間ゼロの結果は?

僕は勉強することで実力が上がるというのは嘘だと思っていましたので、受験勉強をする気持ちはありませんでした。

そのため、今の実力で合格できる大学を調べたんです。

当時の僕は全国テストの偏差値で45〜50程度。

「大学受験案内」のような本で偏差値一覧を見ると、大学の特色や学部案内に加えて、合格できる偏差値の目安が学科ごとに載ってます。

これで45以下のところを徹底的に調べるわけです。

そして見つけました。

帝京大学文学部国際文化学科。

ここの偏差値の目安は45でした。

実力を上げることなく何とか合格できるレベルだと断定してましたね。

帝京を見つけて以降、大学受験案内は見ていません。

偏差値以外にここを選んだ理由は、もうひとつあります。

それは、1年生の間はロンドンに留学すると書いてあったんです。

東京ではなく、いきなりロンドンで何か音楽に触れられたら凄いんじゃないか?

何をどうする、という具体的なものは一切なく、18歳にしてロンドンで音楽をやるという幻想を抱いて受験申込しました。

受験料は3万5000円くらいだったと記憶してます。

当然、親が料金払ってくれたわけで、受験要項もなんとなくは見ていたんじゃないかな。

で、一年時にロンドンに行くことも了承していたはず。

勉強はしたんだったかな?

たぶんほとんどしてなかったはずです。

僕は東京の八王子まで英国社の3教科と面接の試験を受けに行ってきました。

結果は・・・

え合格?

受かったんです。

じゃあロンドンに行けるんじゃん!

喜び勇んで両親に告げると意外な一言が。

まさかの入学回避で浪人決定|上京ならずか?

僕の合格報告に父親が発した言葉は驚くべきものでした。

「入学金いくら?」

知らない・・・

急いで調べました。

そしたら270万円と書いてあったと思います、約300万円。

その額を知った親は、別のところにしてよ、と簡単に言ったわけです。

ですがもうほかの大学を受験するのは時期的に不可能。

後に知りましたが、一般的な私立大学の入学時に支払う学費は80〜100万円程度。

これに生活費とか渡航費が加わるんですから、ちょっとすぐにどうにかできる金額じゃないのは明らかでした。

当然、浪人することになりますよね、目標は大学で経営の勉強することになってますから。

本心は東京で音楽をやりたいだけなので、地元で浪人となると本当の目標を叶えるための活動ができるまで1年間も無駄に過ごすことになるわけです。

たまったもんじゃありません。

そこで工夫してみることに。

「地元の塾へ行くよりも、東京の予備校で缶詰でやるほうが受かるらしいよ」

これが効果ありました。

なんと浪人を東京ですることにOKがでたんです。

正直、これで僕にとっては目標達成したのと同然。

気が緩みまくってましたね。

渋谷まで15分で行ける|ここは神奈川県

上京することになった僕ですが、実際に住んだのは神奈川県横浜市の日吉でした。

そこから東横線に載って渋谷に出て、山手線で代々木まで通う生活だったんです。

上京初日は興奮して、意味もなく渋谷まで行ってみましたね。

渋谷にはライブを見に渋谷公会堂とかクワトロに何度か来てましたから、地理は分かるんです。

もっとも、渋谷に着くまで家から2時間以上かかったし、交通費だけでも往復1万円以上ですから年に一度行けるかどうか。

ところが日吉の家からはたったの15分ですよ。

これは嬉しいですよね。

友達ゼロでしたが、とりあえず渋谷にいつでも行ける環境ゲット。

さて、長く東京にいるためには大学受験を通らないとなりません。

どうするか、勉強する?

でも予備校がスタートするまでは何したらよいかわからないですよね。

当然、ダラダラします。

僕が住んだのは当時日吉にあった学生会館。

すぐ横には慶應義塾大学の日吉キャンパスがあります。

当然慶応の学生もいますが、海外からの留学生も大勢いました。

その他、横浜の専門学校に通う人々も。

その中に僕が棒に振ることになる日々を一緒に過ごす仲間がいたわけです。

日吉台学生ハイツがヤバ過ぎた

もうかなり昔の話なのでバラすと、僕がいた学生会館は「日吉台学生ハイツ」というところで、元々病院の建物だったと言われてました。

学生が暮らす部屋は、2メートルくらいの幅で、奥行きは4メートルくらい。

建築用語でいうと1間×2間で、面積は2坪。

畳4帖くらいのスペースにベッドとクローゼット、簡単な手洗いが着いてました。

トイレは共同のものが各階にあって、汚いけど調理場も。

廊下の床は絨毯で、湿気臭いのを今でも覚えてます。

日吉台学生ハイツの地下には深夜まで入れる大浴場やシャワー室、トレーニング室、ランドリー室があり、常時誰かが利用してます。

そして特筆すべきは卓球室があったこと。

タイからの留学生「ウィチャイ」とは何戦交えたかな?

卓球が国技のタイでは日本とは違うルールがあるそうです。

サーブの際にボールが相手に見えないように保持した状態からラケットに投げつけて強烈な変化を与えるのがタイ式。

もうレシーブどころじゃありません。

途中からボールが視界から消えます。

コレに慣れるまでずいぶんかかりましたよ。

結局ウィチャイに勝てたのは一度だけでした。

僕は卓球まあまあ強かったんですよ、それでも歯が立たない相手がタイ人のウィチャイでした。

そんなことはどうでもいいですが、とにかく日吉台学生ハイツの卓球室で多くの時間を過ごしました。

それと同じくらいカラオケにも行きましたね。

カラオケには横浜の専門学校に通うミヤザワとボンという二人と一緒に行きました。

他にすること無いの。

予備校が始まるまでは勉強なんてしません。

ミヤザワは横浜の専門学校に通ってましたが、その学校で何を学んでいるのかは知りません(というか忘れました)。

ボンは同じく横浜の芸術系の専門学校に行ってたようです。

イラストを描くのが得意だそうで、絵を見る機会がありましたがとてもモノになるようには見えませんでした。

ただ、このボンはいずれ起業して大成功するわけですが、ここでは詳細は省きます。

とにかくミヤザワと僕は妙に気が合い、ボンを無理やり連れてカラオケに行きまくったんです。

カラオケで歌った歌をレコーダーに録音して、ピッチや速さを変えて再生し楽しんだりしました。

日吉の町にはカラオケ以外にもビリヤード屋やゲームセンターなど、暇な学生が遊ぶには十分なお店が揃っています。

ただ、東横線沿線ということもあって夜の町に繰り出すことも多かったですね。

クラブにも行ったし、新宿の街で女の子に声をかけたりいわゆるナンパにも挑戦しましたよ。

これは正直一度も成功しませんでした。

これは僕たちが醸し出す雰囲気がイケてなさすぎたのが原因ですね。

そうこうしてるうちに、予備校も始まり日中は三人共忙しくなりました。

遊ぶのは夕方から。

勉強はどうしたのかというと、僕は予備校にいる時間は集中しますが、一人の時間には勉強しませんでした。

授業中にノートを綺麗にまとめるのみで、その他は特にする必要なしと思ってたんです。

数ヶ月がたち、予備校でも友達が2人できました。

女の子です。

彼女らはもともと同級生だったようで、いつも一緒にいました。

目標の大学のレベルが近かったから、同じコースで勉強するうちに徐々になんとなく仲良くなった感じ。

予め言っておくと、彼女たちとは恋愛のレの字もなかったです。

とにかく、何となく一緒に授業を受けるだけ。

予備校が終わればバイバイで、結局連絡先も交換してません。

一方、ミヤザワはというと、男の友達ができました。

名前はマスザワ。

紛らわしいですが、ミヤザワの友達がマスザワです。

マスザワは雰囲気ある男で、小柄ですが悪いオーラをまとった面白いやつです。

また、マスザワの友達の長身の男も連れ立って遊ぶように。

長身の男は名前がちょっと思い出せませんので、Aとします。

ということで、僕とミヤザワ、ボン、マスザワ、Aの5人で遊ぶようになったわけです。

人数が増えるとそれだけ遊んでる時間も増えるわけで、もうほとんどずっと遊んでる感じでしたね。

誰かが欠けることもあれば、別の誰かが加わることも。

こんな感じで気づけば年末。

正月を迎えるためにみんな地元に帰っていきました。

受験まで2ヶ月|勉強してない自分に焦る|音楽はどこへ?

冬休みに帰郷することになりまして、当然親からは「どうだ受かりそうか?」という言葉が。

あたりまえですよね、受験勉強しに東京行ってるわけですから。

ですが正直大学に受かりそうかどうかを気にしたことがなかったんで、焦りましたよ。

受かりそうなのかな?

分からない・・・

その場では「たぶん大丈夫」と答えて東京に飛んで帰りました。

予備校には1年間で65万円くらいかかっています。

さらに日吉台学生ハイツの家賃が月々約5万円。

これらの固定費に加えて生活費すべて仕送りで賄ってたわけですから、勉強しないとかどれだけダメなやつなんでしょうね。

自分のことながら今書いてて情けなくなりました。

今回は上京後に遊んでしまった結果、自分を窮地に追い込むことになったというところで締めたいと思います。

ん、音楽はどこへ行ったの?

僕がやろうと思ってた音楽はミヤザワと行くカラオケだったのか?

録音してピッチ変えて遊ぶこと?

ちょっとそれも感じましたね。

当初、本当の目的は東京で音楽をやることでしたから。

でも、遊んでしまったあげく、受験勉強してないことに気持ちのほとんどを持っていかれました。

音楽もやってない、というのは自分だけの問題であって、家族に勉強してないことがバレることのほうが何倍もヤバいと感じてたんですね。

バレないためには大学に受かるしかないわけです。

受かれば勉強せずに遊び続けた浪人生活も帳消し!

ということで、僕の大学受験はどうなるんでしょうか?

あと2ヶ月で巻き返せるんですかね?

浪人生は、遊んじゃダメとは言いませんが、勉強と遊びの割合は9対1くらいにしましょう。

次回は怒涛の受験勉強編です。

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